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代々木・幡ヶ谷の主な小字
小 字 |
解 説 |
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甲州街道と玉川上水に挟まれた細長い街並みで、東は文化服装学院から西は幡ヶ谷駅付近に至る。甲州街道の発達と共に早くから商人が軒を連ね、代々木村内で最も賑わっていた。 |
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現初台1丁目の天理教初台教会付近南から区立山谷小学校付近に至る地域。代々木九十九谷といわれたほど谷の多い地帯で、最も地形が起伏している。かって、山の斜面には畑が、窪地には水田が多く、高野辰之が「春の小川」を作詞したモデル地帯と言われる。岸田劉生の「切り通しの坂」もここにある。 |
初 台 |
伝承によれば、太田道灌が築いた築城八ケ所の一つから地名が起きたとされる。徳川秀忠の乳母で土井昌勝の妻・柴山氏は、天正19年代々木村に二百石を賜り、初台の局と称された。 |
本 村 |
今の元代々木付近、代々木本町と言われた地域。 |
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代々幡地区における人口推移
年 時 |
住居戸数(戸) |
人口(人) |
明治39年 |
573 |
3,608 |
〃 42年 |
1,020 |
4,906 |
大正 元年 |
1,533 |
6,190 |
〃 4年 |
2,234 |
10,433 |
〃 7年 |
3,474 |
16,725 |
〃 10年 |
6,845 |
27,425 |
〃 14年 |
13,044 |
55,365 |
昭和 2年 |
17,046 |
70,832 |
〃 6年 |
18,960 |
79,533 |
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